時々ですが、アートをやっている人の中には自分の作風やアイデアを他人に盗まれることを危惧する人がいます。
私はそういうの、あまり気にしていません(といっても自分の作品が世の中に露出する機会が、今までほぼほぼなかったのですが)。
何故気にしないか、というと、いくら作風を盗もうと思っても、ただ絵面を真似してしたところで、自分のものにはならないと思っているからです。同じように描こうと思っても、表面づらだけでは表現できない作品への深い思いや構想、技術力や、もろもろのものが絡み合っての作品ですから、そこの部分までは盗めません。
世の中には本当にそっくりそのままに写し取ってしまう器用な人もいます。でもまあ映画の看板描きしてるわけじゃないので(あれはあれで凄い技術ですが)、そっくり写すだけだとそれで終わり、です。
どうせ模倣するのなら、その人の筆さばき、色彩感覚、形の捉え方、呼吸の仕方まで、いろんな要素を学び取って、自分の中で再構築して次の作品に繋げたいものです。
それは昔から繰り返しやられていることで、今でもルーブル美術館なんかに行くと、イーゼル立てて模写している人達がいますものね。
絵画の歴史を振り返ると、紀元前あたりの人々の生活を写しとったものから始まり、信教のために絵画が描かれ、写真の無い時代に肖像画として描かれ、やがて光を描き、庶民の生活を描き、戦争を描き、形を叩き壊し、いろんな素材が使われ、映像が用いられ、、、今の時代、人がやったことが無い、を探すのって本当に難しくなってきていると感じざるを得ません。
だからこそ、外部からではなく、自分の内部からふつふつを湧き上がるやりたい事を愚直にこつこつとやる事が、やがて魅力あるオンリーワンの作品に繋がるのではないかと思っています。
ギルランダイオの模写です(テンペラ画)。